単純なことなのだが、自分が写真としたものを表現することで、自分の感動したものを伝えたいだけなのかもしれない。ただそれは、仕事も含めて、育った環境や世代の違いを埋めていかなければいけないし、相手に伝える方法も考えなければいけない。その方法は、相手に対して、媚びるのではなく、自分の技術の中で解りやすく表現することなのだろうと考える。
ただ、もっと突き詰めていけば、育った環境や世代の違いは関係なくなってくるのかもしれない。
というのは、写真自体がいいものであればその必要はない。それは、美術界全体に云える傾向なのだが、今までは、背景や宗教観を考えながら、ものを表現していた節があるが、欧米が一つの基準ではなくなってきたからである。グローバルな社会の中に突入したからであろう。
もちろん、そのようなものに対しての購買力が、アラブやアジアの富裕層に移ったことも大きな一つの一因になっているのだ。
今までは、キリストを中心とした文化が中心になって、美術を引っ張ってきたが、人口の増加が急激な中国やアラブ諸国のイスラム圏の拡大がそのような状況を変えていったのである。
まさに写真もこの波に押されているのだろう。日本の写真は、より身近な写真、私的な私小説的な表現や直感的な面白さの延長にある身近な表現が主流になっている。ただこの流れからいくと、文化を把握することよりも、写真としての表現力が勝っていれば、いいのであるが、そうでないと陳腐なものになってしまうであろう。単純に写真としての構図や色合いが直感的に面白いものがこれからの主流になってくるのではないかと思われる。そう考えると、自分自身でより多くの体験や疑似体験をしながら、そのものを吸収して、写真にしていく努力が必要になってくるのである。
つまりは、何でもそうであるが、人間の幅の広い経験から出てくるもの作りが基本になってくると云う基本的な考え方は変わらないのだ。そのような機会に出会ったのにそれでおしまいになる人もいるだろうし、そのことに気づかずに進化していい方向にいく者もあるだろうが、とどのつまりは、その作者の面白さが出てくる作品なのだろうと思う。
このブログではこのようなことを、写真論としてまとめてみたい。また、思いついたときに写真論を書き込んでみることにする。また、次に読んでくれることを信じて、また合いましょう。
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